ひもんやだよりWEB版
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ひもんや内科消化器科診療所
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2025年02月号掲載
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ワインと健康今昔酒石酸物語

ワインと健康についての調査で有名なのは、1989年のWHOの報告で、「ヨーロッパ諸国の中で、フランスだけが冠動脈疾患の死亡率が低く、男女合わせてドイツやオランダの1/2、イギリスやデンマークの1/3程度」と報告され、いわゆる「フレンチパラドックス」と呼ばれています。食生活とくに乳脂肪消費量が近隣諸国とあまり変わらないのに、フランスの冠動脈疾患死亡率が低いのは、大量のワインの消費が要因ではないか、ワイン、特に赤ワインに多く含まれるポリフェノールであるレスベラトロールの抗酸化作用が、動脈硬化の進展を抑えているのではないかと推定されており、私もこの話は金科玉条のように何度も唱えておりますが、今回ワインと心血管疾患について新たな知見が報告されました。

スペイン・バルセロナ大学のInes Dominguez-Lopez氏らの研究グループは、「ワイン摂取量の指標としての尿中酒石酸濃度の有用性と尿中酒石酸濃度と心血管疾患イベント発生リスクとの関係」を検討し、European Heart Journal誌オンライン版2024年12月18日号に報告しました。

適度なワイン摂取は、心血管疾患の発症リスクを低下させると報告されているが、ワイン摂取量は自己申告に基づくものであり、正確な評価は難しい。そこでワイン摂取量の指標としての尿中酒石酸濃度の有用性を検討し、また尿中酒石酸濃度と心血管疾患イベント発生リスクとの関係を検討した。その結果、尿中酒石酸濃度と心血管疾患イベント発生リスクには、有意な関係が認められ、ワイン摂取量よりも尿中酒石酸濃度が有用な指標となる可能性が示されました。

本研究は、心血管リスクの高い集団を対照として、地中海食と心血管疾患イベントとの関連を検討した無作為化比較試験「PREDIMED(Prevencion con DietaMediterranea)試験」のデータを用いて実施されました。対象は、PREDIMED試験の対象となった7,447例のうち、試験期間中に心血管疾患イベント(心不全、心筋梗塞、脳卒中、心血管死)が発生した685例と、発生していない547例であった。自己申告によるワイン摂取量、ベースライン時および1年後の尿中酒石酸濃度を用いて、心血管疾患イベント発生リスクとの関係を検討しました。ちなみにPREDIMED試験は、バルセロナ大学が行った心血管リスクが高い集団を対象とした試験で、2018年に「低脂肪食事療法に割り付けた群よりも、エキストラヴァージンオリーブオイルまたはナッツを一緒に補充する地中海式食事療法に割り付けた群のほうが主要心血管イベントの発生率は低い」と報告しています。

主な結果は以下のとおり。

ということで、ワインの摂取は心血管疾患イベント発生リスクの低下に関連し、尿中酒石酸濃度がワイン摂取量の客観的なマーカーとなり、心血管疾患イベント発生リスクの評価に使える可能能性が示されたわけですが、尿中酒石酸濃度の測定が健診などに取り入れられると、飲酒量の自己申告の鯖読みができなくなるのでは、とちょっと心配。

ここからは余談。

酒石酸は酸味のある果実、特に葡萄、ワインに多く含まれる有機化合物で、これがカリウムやナトリウムと結合したのが酒石で、1675年ごろにフランスのラ・ロシェルの薬学者ピエール・セニエットによって初めて合成されたことから、ロッシェル塩とも呼ばれています。古いワインのコルクや瓶の口にざらざらとした粒がついていたり、瓶の底にキラキラとした結晶を認めることがありますが、それが酒石で、ワインの品質には全く問題なく、むしろ高品質のワインを長期熟成すると酒石がみられることが多い。英語ではtartaric acid、tartarは結石という意味で、歯石もtartarです。

酒石酸自体の健康効果についてはまだ不明な点が多いのですが、疲労回復や整腸効果に関する報告があります。

さて、この酒石(ロッシェル塩)には、圧力を加えると電圧を発生させる性質があり、音響振動を電気信号に変換する特性を生かし、戦時中は潜水艦や魚雷の音波を探知するソナー(水中聴音機)の部品として重用されていました。

ドイツからソナー技術を導入したわが国では、第二次大戦中に酒石の生産を目的に海軍が国産果実酒醸造を奨励し、国税庁によると昭和19年度の果実酒の課税石数は、約1,3010キロリットルです。それが翌20年度では約3,4200キロリットルと、2.6倍に増加しています。現在わが国はワイナリーブームで、全国のワイナリーで国産ぶどうを原料としたワイン(日本ワイン)が年間約16,600キロリットル生産されていますが、その倍以上を生産していた大ワインブームが戦時中に起こっていたわけです。生産したワインから効率的に酒石酸を回収して酒石を得るために、ワインには大量に石灰が加えられました。酒石酸を回収した後のワインは配給酒として市中に出回ったのですが、酒石酸を抜いた後のワインは酢酸菌ですぐに酸敗してしまい、酸っぱ過ぎて飲めたものではなかったらしく、最初の日本ワインブームがあまり知られていないのは、その味のせいかもしれません。

酒石酸の研究製造の拠点だった山梨県の「サドヤ醸造所」は昭和20年7月6日深夜の甲府大空襲の標的になり、貯蔵庫から流れ出したワインで近くの川に逃げ込んだ市民の服が真っ赤に染まったとのこと。大正6年創業のサドヤワイナリーは現在も良質なワインを造り続けています。

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